『精神病者の魂への道』(シュヴィング著)に見る「こころ」 #4

今回は、『精神病者の魂への道』(シュヴィング著)に見る「こころ」の4回目です。

 

 

(引用元は G.シュヴィング著 小川信男・船渡川佐知子共訳 (1966) 精神病者の魂への道 みすず書房 です。)

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

P14 「関係性はいかにして確立されるか」 より

 

症例ベッティ 三十歳 精神分裂病〔註:統合失調症〕

 

重荷や葛藤や失意がひとりの人間にとってあまりにも重く、つまりそれらの圧迫がその人の心を病気にしてしまうほど重たくなってくる場合には、いつどんなときにも第二の人が現われてそのひとの重荷に耐えてゆくのを助けてあげるべきなのです

 

 

シュヴィングが、ベッティに自身の考えをやさしくそっと語りかけるシーンです。

シュヴィングの深い人間愛であると同時に、これは対人援助職の基本姿勢と一致します。

 

病まれる方の特徴は、とにかく真面目であることに尽きます。

それはとても素晴らしいことなのですが、時に強すぎて、「自分のことは何でも自分で対処しなければならない」「他人の手助けを借りるのは申し訳ない、恥ずかしい」と考えていらっしゃることがあります。

果たしてそうでしょうか。

人生を歩んでいれば、しばしば生きるのも苦しいくらいの辛いことが起こります。

大切な人の死、別離などから、大事故、大災害などもあるでしょう。

確かに、それを誰かが肩代わりすることはできません。

しかし、だからといって、「自分一人で受け入れ、乗り越えねばならない、他人の手を借りてはならない」とはならないのではないでしょうか。

病院を受診される方の多くから、「自分が弱いだけではないのか、甘えなのではないか」と仰っているのをお聞きます。

ただでさえ既に大変な辛さを抱えていらっしゃるのに、そう思われるのは二重の苦しみに苛まれることであり、胸が締め付けられる思いがします。

辛さに立ち向かうために周囲に援助を求めることは、”悪い”ことでも、”情けない”ことでも、”恥ずかしい”ことでも、”甘え”でもありません。

 

我々対人援助職、特に医療ができることは多くはありません。

治療という形で、あくまでお支えすることだけです。

それでも、何か少しでもお役に立てればと思います。

それが、私たちの存在意義です。

 

 

(次回に続きます)

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