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【心療内科/精神科名著紹介】 『精神病者の魂への道』(シュヴィング著)に見る「こころ」 #2

今回は、『精神病者の魂への道』(シュヴィング著)に見る「こころ」の2回目です。

 

 

(引用元は G.シュヴィング著 小川信男・船渡川佐知子共訳 (1966) 精神病者の魂への道 みすず書房 です。)

 

よろしくお願いいたします。

 

 

 

P2 序 より

 

現代の科学的に方向づけられた精神分析学者たちは、たとえば、精神療法の技術をできるかぎり科学的に変換させようと試みるように、分裂病者への治療上の問題において、彼ら自身および彼らの先輩の直観的な接近をできるかぎり合理化しようとする正統な試みに直面して、分裂病者への治療的な働きかけの普遍的な、単純に人間的な側面をあまりに容易に無視するかたむきがあるかも知れない。

 

この序文を記しているのは、フリーダ・フロム=ライヒマン(Frieda Fromm-Reichmann)という、20世紀前半を中心に活躍した著名な精神科医、精神分析家です。

フロム=ライヒマンが語るものは、私が理解しているレベルよりもずっと深いでしょうが、味わい深い一文なので、今回取り上げたいと思います。

 

心理学が、「非科学的」と批判されることがあります。

色々と理由はあるでしょうが、1つに”再現性が低い”とされることがあると思います。

再現性とは、Wikipediaによると、「同一の特性が同一の手法により発現するとき、その結果の一致の近さのこと」とあります(Wikipedia、「再現性」のページより引用)。

たとえば、ある実験をしたとして、一度得られた結果が、何度同じ実験をしても得られるか、という問題があります。

ぱっと考えると同じ結果になって当然と思いがちですが、よく考えると実験の対象が毎回同一ということはありません。

実験というと、「モルモット」という言葉を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、ある一匹の「モルモット」は当然ながら世界に一匹だけです。

そのモルモットを延々に実験に使うことはできません(死んでしまうかもしれません)し、もし同じモルモットでも、2回目の実験の時点で「1回実験を受けている」モルモットであって、「初めて実験を受ける」モルモットではもはやありません。

同様に、実験者も実験のたびに変わるでしょう。

むしろ、本当に「科学的な」実験は、そのように対象も実験者も、そしてその他諸々の諸条件が変わっても、同じ結果が出ないといけません、それが再現性です。

 

心理学の場合、対象をある精神障害に定めようとして、そもそも精神障害自体が可視化できるものでありませんから、実験者(や医師)によって診断そのものが変わったりすることが往々にしてあるため、対象を一定に定めるだけでも容易ではありません。

以前のブログで精神障害の国際診断分類であるICDやDSMについて記載しましたが、わざわざ診断基準を世界で統一しようとしたのは、こういった背景があります。

 

現代の精神医学の中心は間違いなく薬物療法ですが、その1つの理由は心理学≒心理療法に比べると、再現性が得やすいからです。

再現性がある、つまりより科学的とされる治療法が主流となるのは、自然な流れではあるでしょう。

心理療法と一括りにしましたが、その中でもより科学的とされるのが、現在心理療法のメインストリームとなっている認知行動療法(CBT)です。

認知行動療法は、その特性上プロトコール(実験の手順)を一定にしやすく、データが得やすいという特徴があります。

近代の心理療法は精神分析から始まり、認知(行動)療法は創始者のアーロン・T・ベックが1960(70)年代に提唱したものですが、急速に世界中に広がり、いまやガイドラインによっては薬物療法に双肩を並べるまでの存在になった理由の1つがここにあります。

 

フロム=ライヒマンがこの序文を記載したのは、1954年とのことです。

1954年というと、まだ認知療法はこの世になく、前回ご紹介した世界で最初の抗精神病薬であるクロルプロマジンが認識された1952年からわずか2年後です。

その時代にすでに、海外の精神分析家たちが科学的であろうと苦心していたこととともに、すでにそれが行き過ぎて、もっと普遍的で大切な人としての向き合い方=「単純に人間的な側面」が失われているのではないか、という批判が生じていることには、胸が詰まります。

(なお、この「単純に人間的」という語句は、上記引用文の後の文で紹介されているハリー・スタック・サリヴァンという(この方も)著名な精神科医の言葉に全く同じ一語が出てくるので、そこからの引用なのかもしれません。サリヴァンについても、いつか取り上げたいと思います。)

 

 

(次回に続きます)